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幻想短編

                   「七月八日の手紙」

 

 

 朝、目を覚ますと雨の匂いがした。

 部屋の時計は、七月八日の午前七時を指している。

 カーテンの隙間から差し込む光は、昨日と同じ。

 いや、ずっと同じ。

 かすかな期待を込めて、私はテレビをつける。

 しかし私の思いとは裏腹に、テレビは残酷に今日の日付を伝えてくる。

 

「……また、七月八日」

 

 私はベッドの端に座り、置きっぱなしの手紙に手を伸ばす。

 白い封筒。

 差出人はない。

 だけど、私はこの文章をもう何百回と読んでいる。

 ――『七月八日の午前十時、北口のホームで待っています。』

 最初にこの手紙を見つけたのは、もう数えきれないくらい前の七月八日の朝だった。

 机の上にぽつりと置かれていたそれは、私の記憶のどこにも存在しなかったのに。

 どこか懐かしい匂いがした。

 それ以来、私はこの日を繰り返している。

 ベッドから立ち上がり、淡々と服を着替えると家を出る。

 そして何も考えず、いつもの道を歩く。

 交差点では、特に何の変化もない。

 隣に立つ男の人は、今日もコーヒーを落とす。

 その先の公園では、白いワンピースの少女が転ぶ。

 少女を助ける母親の声も、涙ぐむ少女の顔も、全部同じ。

 私は今日も、何の期待もなく駅の北口に向かう。

 午前十時、ホームの端。

 そこに立っていた私は、今日も今日とて誰にも出会わず終わった。

 記憶は積み重なっていくのに、時間だけが進まない。

 毎回同じ場所、同じ景色、同じ雨雲。

 私が一体何を忘れているのか、何をやり直さなければいけないのか。

 その答えは、この天気のようにぐずついている。

 けれど、それでも手紙は毎回同じように現れる。

――『七月八日の午前十時、北口のホームで待っています。』

 誰が書いたのかは分からない。

 でもきっと、私はその人と会う約束をしていた。

 何か大切な言葉を交わすはずだった。

 それなのに、何度今日という日を繰り返しても、その記憶だけが積み上がらない。

 結局また誰にも会えなかったその夜、私は日記をつける。

 もう何十冊目か分からない日記帳の、新しい一ページに今日のことを記す。

 どさりとベッドに横たわり、ぼーっと天井を見つめる。

 「もう終わらせたい」という思いと、「でももう一度だけ」という思いが胸の奥でせめぎ合う。

 ――会いたい。

 頭の中でそれだけ呟いて、私はそっと目を閉じた。

 そして、またゆっくりと目を開ける。

 朝、目を覚ますと雨の匂いがした。

 部屋の時計は、七月八日の午前七時を指している。

 ……けれど、その日はいつもと違っていた。

 交差点で、男の人はコーヒーを落とさない。

 公園の少女は転ばない。

 そして、北口のホームには――

「……お待たせ」

 はにかむようなその声に、鼻の奥がつんとなる。

  振り返ると、そこには懐かしい笑顔が立っていた。

「来てくれて、ありがとう」

 堪えきれず、涙が溢れた。

 ようやく、この七月八日が終わるのだった。

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