時代もの恋愛
「烏帽子の花嫁」 (一部抜粋)
花嫁衣装を身に着けた綾乃は、一人部屋に残されていた。
そんな綾乃の元に、尋ねてくる者があった。
「姉さん」
「小太郎……どうして」
「……最後だから」
そう言って立つ弟は、もう小太郎ではない。
つい先日の烏帽子の儀を経て父から一字を与えられ、「清吉」と名乗るようになったのだ。
だが姉である綾乃の胸には、未だに幼い頃から育ててきた弟の名が残っていた。
「そうね……今日で最後ね。会えて嬉しいわ、小太郎。これで心残りなく嫁げるというものよ。……ありがとう、清吉。さようなら」
その言葉に、弟は一歩踏み出す。
「……姉さんはいつも勝手だね。僕がどうしたいかなんて、全然聞いてくれない……」
「……」
「姉さんだって、本当は……伯父上の息子の元へなんて、嫁ぎたくないんだろ?」
綾乃は震える声で答える。
「……それでも、私は行くしかないのよ」
弟は拳を握りしめ、深く息を吸い込む。
「――なら、この手を取って」
「え?」
「姉さんは今から僕とここを出るんだ。ほら、早く。僕の手を取ってよ。でないと、父上たちが戻ってきちゃう」
綾乃の手を強く引いた弟は、そのまま廊下を駆け出した。
後ろで婿の怒号が響くが、それを遮るように父の低い声が重なる。
「もうよい」
綾乃が振り返ると父は婿の肩に手を置き、母が困惑したように声を上げていた。
だが、父は振り返った娘と視線を交わし、はっきりと頷いてみせた。
それから、無我夢中で二人は走った。
家を抜け出し、町を越え、丘の上へ辿り着いた。
「着崩れちゃったね、姉さん」
「……小太郎のせいよ」
「うん、僕のせいだ。だから、着替えよう。この先の小屋に、姉さんの支度をしてあるんだ」
木造りの小屋の中には、花嫁衣装を脱いだ後の着替えと新しい履物。
そして旅装束。
弟がすべて用意していた。
「旅に出よう、姉さん。誰も僕たちのことを知らない所へ。そこで、二人だけで暮らしていこう」
「小太郎……」
「これからは、僕が姉さんを幸せにする」
涙が頬を伝う。
彼女は静かに頷き、もう一度、彼の手を握りしめた。
――誰も知らない町へ。
誰も咎めない場所へ。
そうして、姉と弟は逃げるように旅立った。